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明治時代の香港にいた日本人〜どこにあったかわからない初めの領事館

香港の書店はどこも必ずと言っていいほど、日本の歴史本コーナーがあります。

そこで「明治時期 香港的日本人(明治時代 香港の日本人)」という本を見つけました。これは、香港人の方々が在香港日本領事館の記録を元に、中国語にまとめた本のようです。読んでみると大変興味深く、この本の存在を日本人が知らないのはもったいないと思い、気になる箇所を抜粋してみることにしました。

 

・どこにあったかわからない初代領事館

在香港日本領事館(以下;領事館)は今から遡ること146年前の明治6年(1873年)に開設。

領事館がどこにあったかというと、実ははっきりとはわかっていません。賃貸契約書は存在し、それによると「ヴエルブという場所の一箇所」を借りたことはわかっています。

本によると、日本語の発音と当時の様子から考えて、現在のセントラルにある「Peel Street/ピールストリート(卑利街)」ではないだろうかと推察しています。

Peel Streetは香港主要道路の1つQueen’s Road Central(皇后大道中)から北に延びる急な坂道(全長560m)で、現在では多くのレストランやバーが立ち並ぶ通りです。この辺りは1840~50年ごろから多くの西洋人が居住、その後華人やその他のアジア人たち続々と移り住んできたようです。

また明治19年(1866年)の領事館調査によると、当時の日本人は主にセントラルに居住していたこともあり(というか、当時はその辺りくらいにしか住めなかった)、香港に住む日本人をケアするためには便利な場所だっただろうと言われています。

個人的にはなぜ「ヴエルブ」の発音がPeel Streetに結びついたのか、理解できてないのですが。。

 

ところで気になる1ヶ月の家賃は122元(香港ドル)。

えーー、全然わかんない。

ところが、この本のすごい事は当時のレートも載っていました。1元=7.176銭なので、120元は8.61円となります。

 

それでも全然わかんなーい。

何を基準にするかで価値が非常にぶれるので当時の給与をチェックしてみました。

 

明治時代の給与ですが、伊藤博文の明治6年参議(閣僚を支持する実質的トップ)時代の月給が500円。これなら余裕ですね。

もうちょっと調べてみると、明治8年の巡査初任給が4円。え???国のトップとどれだけ給与の差があるんだ?とビックリしたのですが、それは置いといて、現在の巡査の給与は21万9,710円(平均年収.jpより)。これだと47万円ほど。今の香港の相場から言うと全然高くなーい。(香港の家賃がもともと高すぎるんです!現在の領事館のほうが何倍も払ってる、絶対。)明治当時の日本の家賃相場からすると高いのかと思い、調べてみましたが、見つからなかったので比較できませんでした。

 

広さが気になるところですが、残念ながら明記がなく、借りたのが一軒家ぽいのだったのか、建物の一角だったのか良くわかりません。 おそらく現在の領事館の人は知ってるんじゃないでしょうか。 ちなみに事務所と官舎が同じ建物内だったことはわかっています。

 

 

 

 

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