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日本海軍士官、イギリス軍艦に乗る。領事館は進捗チェック!

「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」に、明治初期の日本海軍についてこう書かれています。

 

「明治元年、うちの海軍の貧弱さと言ったら、言い訳というか何も言われへんほど確かな事実。もうホンマ仕方ないからこの事実をちゃんと認識して、実力を高めるためにイギリス海軍から勉強する事にしたわ。せやな、例えばうちの若くて優秀な海軍士官はイギリス軍艦に乗って、いろんな事、勉強してるで」

 

例として「伊月一郎」さんが挙げられています。彼はイギリス中国艦隊の旗艦「Audacious」へ乗船。その船が香港へ入港した際にジョンストン(Johnston)艦長と伊月さんは香港の日本領事館を訪問し、安藤副領事にご挨拶しています。その返礼として翌日、安藤副領事と小林書記官が一緒に「Audacious」を訪問。旗艦では熱烈な歓迎を受けたらしく、安藤副領事は「めっちゃ熱烈歓迎、受けましたわ!そんなに時間が経たんうちに、艦長さん含めた数人を宴会にご招待しようと思てます。」と大喜びで外務省へご報告しています。艦隊では伊月さんの研修の進捗具合なども艦長さんに逐一細かく聞いたようです。

  

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「Audacious」には、伊月さんだけでなく何人かの日本人が勉強のために乗船しています。明治8年12月初めに「Audacious」が香港に入港した際、当時、海軍省の学生だった佐藤鎮雄さんが伊月さんと交代、翌年12月に入港した際には、同じく海軍省の学生である富岡定恭さんが佐藤さんと交代で搭乗しています。

 

イギリス中国艦隊は主に清国沿岸、香港、台湾及び日本などの水域を管轄。当時、植民地としていた香港とシンガポール、租借地となっていた威海市(中国)を基地としていたそうなので、香港の日本領事館で定期的なイギリス海軍で頑張る研修生(?)の情報収集や研修生交換などの作業は便利だったのでしょう。

 

※1: 明治8年(1875年)3月3日に「Iron Duke」へと名前を変更。

 

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