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日本領事館スタッフ紹介。香港初の現地採用者!?

明治9年(1876年)の領事館メンバーが「明治時期 香港的日本人」に載っていました。当時の日本人は安藤さん、小林さん、寺田さんの3人。

 

今までの報告書に良く出てくる「安藤太郎副領事」は、明治7年7月1日に来港、明治16年(1883年)までの9年間、香港にいることになります。

 

小林端一書記官は安藤さんと一緒に香港にきています。ところが小林書記官は体を壊して、明治8年に熱海へ温泉療養し、その後、2ヶ月ほどで香港に戻るも、明治9年4月25日に当時の外務大輔(外務省)の鮫島尚信さんより小林書記官に帰国命令が出て、6月20日に香港を去ります。

 

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寺田一郎書記官は明治8年6月10日から香港に着任。明治9年7月1日に帰国しましたが、同年8月22日に香港に戻ってきています。

 

日本からの駐在員は以上ですが、香港では幾度も外国人を雇用していたようです。

明治9年5月にイギリス人Tyler(タイラー)さんの雇用が決定。その前には「Kuchniz」さんという外国人を雇用していましたが、明治8年9月に解雇しています。その後、ずーっと誰かいないかなぁと探していて、見つけたのがタイラーさんだったようです。

 

安藤副領事の報告に、タイラーさんのことが書かれています。

「今回雇用を決定したタイラーさん、香港に12年以上もいる人で、香港のある学校の校長先生をしてはりました。文章書くのめっちゃうまいし、香港の細かいことホンマ色々と知ってはって、重要な任務も任せられると思います。雇用形態ですけど、以前いたMacdonnellさんと一緒にしまして、辞職する場合でも双方の話し合いでOKにしてあります。条件もゆる~くさしてもらいましたし、月給も70元でえぇって言うてくれてはります。」

 

領事館の初めてのオフィスは1ヶ月120円でしたから、月給70元はお得なのかもしれませんね。

 

この年はもう1人、日本人を雇用しています。

安藤副領事は「寺田(書記官)くんは忙しいし、どうせ誰か雇うんなら広東語できる人がえぇなぁ」と思っていた時に香港に住んでいる日本人「平部二郎」さんの存在を聞きつけます。彼は英語も広東語もできるということで、これは便利や!と思った安藤副領事は外務大臣の田辺太一さんへ報告、田辺大臣は返信しています。

「書記官は領事館の事務仕事で忙しいの、よぉわかりますわ。それに貴方が担当してる広東地域で中国語できる人おれへんもんなぁ。いただいた報告書に書かれてる平部二郎さん、英語も中国語もできるやなんてえぇやないの。将来有望やわ。二等書記官実習生として雇用したって。」

 

ここに香港で「初」となる日本人の現地採用者が誕生です!少なくとも記録に残ってる中では初めての人ではないでしょうか。

 

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