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明治10年(1877年)琉球人6名が英国船に救助される

前回、明治9年にフィリピンで助けられた3名の琉球人のお話をしましたが、翌年にも同じようなことが起こります。

 

琉球・頭間切奥間村の山城筑登之さん(56歳)、安里丹也さん(39歳)、比嘉築登雲上さん(30歳)、加那桃原さん(30歳)、武太山城さん(24歳)、蒲戸島袋さん(24歳)らが、1チーム3人、全部で3チーム(計9名)で、明治10年5月2日に柴を運ぶため、琉球・頭間切奥間村を出発しました。

 

無事に送り届けたのですが、その帰りの5月22日に大嵐にあいます。船の帆を張るための木は折れてしまい、コントロールを失いました。漂流すること5日間、不運にも3名が死亡。26日に横島(長崎?)付近で一艘のイギリス船「ゲーリック号」を見つけます。無事に助け出された6名は、ゲーリック号に乗って7月10日に香港に到着しました。

 

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ゲーリック号の乗組員はその6名が日本の本土人だと思っていたので、日本領事館へ送り届けます。安藤副領事は早速会いますが、また言葉が通じません。。そこで

また忰甚助さんの通訳で乗り切ろうとしますが、前回助けられた3名(※1)と比べて身分が低いのか「日本」「倭」という漢字すら分かりません。

 

「ここは日本領事館ですよ」という意味すら伝えることができず、困り果てた安藤副領事は機転を利かせ「私たちは鹿児島ですよ」と伝えると、ようやく日本の保護を受けたことを理解したようでした。

 

領事館では彼らに着物と必需品を用意、7月15日に上海に向けて出発するイギリス船に日本人が乗っているということでしたので、その方にお願いして遭難した6名は琉球に帰って行きました。(前回もそうでしたが、香港から日本へ帰るのは上海経由が一般的だったんですね)

 

日本からイギリスへお礼はすぐに伝えられましたが、翌年の明治11年1月7日に改めて日本の外務大臣からゲーリック号の船長にお礼の品が送られたようです。

 

 

※1 : 琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語(

http://kaori-neko.hatenablog.com/entry/2019/03/17/223536)参照。

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