香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

港初の民間企業「駿浦屋」の倒産と三井物産

唐突に三井物産の名前が出てきましたが、明治9年から流通開始された新しい銀貨を、明治政府は三井物産と協力し、海外での流通を積極的に行おうと考えていました。しかし日本領事館は「一社だけに任せるのもなんやし、民間企業の「駿浦屋」にも手伝って欲しいな」と考えていました。

 

民間企業としては香港進出の先駆けである「駿浦屋」さん。

日本領事館はなんとか廃業しないように色々とお願いをしていたようですが、不景気のあおりでとうとう、明治10年(1877年)10月に廃業してしまいます。

 

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安藤領事(明治10年、副領事から領事へ昇進!)がレポートしています。

 

「長年香港で開業してた「駿浦屋」ですけど、経営が思わしくなく、とうとう廃業しはりましたわ。この商社は元々、静岡のビジネスマン北村五郎衛らで横浜で設立され、明治5年(1872年)に香港で開業しはりました。当時は香港の景気も良ぉてうまいこといってたみたいです。けれども「駿浦屋」の日本側では従業員から海外支店という特殊な状況が理解を得られなかった背景がもともとあったみたいで、更に最近の不景気が加わって、香港法人はもう閉めよぉて意見が出てきたようです。

 

それに「駿浦屋」自身の品質も落ちてきてたり、中国人が同業種で店を開いてよぉ似た品物を安い価格で売ったりするもんやから全然あかんかったらしいですわ」

 

「駿浦屋」がなくなると、三井物産が香港に出てくるまでは日本企業は全くない状態になってしまいます。安藤領事の報告が続きます。

 

「イギリス人のピットマンさんとは三井物産の香港支店設立や一洋商社の店舗開設の可能性とかについて話しました。在香港の日本企業の存在については、中には『香港にたった一社やとしても、あるだけ心強いわ~』て言う人もいてはります。「駿浦屋」が廃業した件ですけど、今の香港の状況では小さい法人では十分な利益を得るのも難しいし、なくなってしてしまうのは無理もないことです。」

 

ピットマンさんとはJohn Pitman(ジョン・ピットマン)という中国貿易で活躍したイギリス人です。ピットマンさんのお話はまた別の機会に。

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