香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

貿易通貨を送る準備する日本。受け取り準備をする香港。

日本の貿易銀貨を香港で流通させるために重要な人物ピットマンは、中国貿易で活躍したイギリス人ですが、当時明治政府に雇用されるなど日本と深い関係がある人物です。ピットマンは香港に来て日本の新銀貨流通のため、香港政府や東洋銀行(※1)に働きかけたり、香港・広東省エリアのマーケット規模を調査したりしています。

 

広東の税関局長にあった際には、香港経由で大量のアヘン(阿片)が密輸されているのを知ります。(合法アヘンがあった時期なんですねぇ)当時広東省に流れていたアヘンの2/3もが密輸だったそうです!この点については、その後香港総督に「ちゃんと取り締まって税金取れば儲けまっせ」とアドバイスしています。

 

ピットマンが日本に戻り、財務大臣の大隈重信に報告、その中で「こっちの準備が終わったら、貿易銀貨と貿易用以外の銀貨・銅貨を送って」と言っています。ピットマンはその後すぐに香港へ出向き、香港で銀貨・銅貨の到着を待ちます。

 

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大隈財務大臣は12月28日に香港の安藤領事に連絡をしています。

 

「渋沢栄一(※2)と益田孝(※3)が日本の銅貨を送る準備してるで。ほんまはイギリス帆船で1厘の旧銅貨5,000元(※4)分送る予定やったけど、横浜に着く時間が遅れてしもて、それで他の外国船でアレンジしたで。ついでに5銭と10銭の銀貨を各5,000元ずつ、合計10,000元分も送るで。ついたらちゃんと確認してから受け取ってな。」

 

さて、その受け取り方法まで詳しく記載されています。

まず派遣されてきた三井物産の職員「執行弘道」(※5)は安藤領事に大蔵省の国債局長である郷純造の手紙を渡します。銀・銅貨が領事館に到着後、安藤領事は郷純造の手紙にある印章を確認、箱と同じであることを確認し受け取ったそうです。

 

ちなみにパッキング状態ですが、5銭と10銭の銀貨はそれぞれ3箱ずつに分けられ、1厘の旧銅貨は草でできた袋に271個に入れられていたそうです。袋に入れられてとは何だか適当な扱いですね。

 

 

※1: 1842年創業した香港初の銀行、および通貨発行銀行(1845年より)。ただし1884年倒産。

※2: 2024年から始まる新1万円札の顔!当時大蔵省に所属。

※3: 三井物産の設立に関わった人物。

※4: 中国語では「元」となっていますが、話の流れから「円」の可能性もあり。

※5: 元外務省職員。外務省時代はアモイ領事館にもいた。明治10年(1877年)12月22日に退職。

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