香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

日本の銀貨を法定通貨に。香港政府と3大銀行へ乗り込み!

お金も香港に送ってこられ、三井物産の設立も着々と準備が進んでいましたが、あとは使うだけ!と言う訳には行かなかったみたいです。当時、明治政府は「小額銀貨とは言うても、広範囲で流通させたいから、香港政府に『法定通貨』として認めさせたい!」と考えていました。

 

そこでイギリス人ピットマン(Pitman)さんが早速、当時の香港総督ヘネシーさん(Sir John Pope Hennessy)(※1)に非公式で会い、日本の新銀貨を法定通貨にしたいと伝えます。その後、すぐに安藤領事もピットマンと一緒にヘネシーさんの元を訪れ、安藤領事は、新通貨の特徴などを説明、且つ「日本国としてはまだ正式に『法定通貨にしてこい!』って言うてないんですけど、まずはその前に香港政府のご意見を伺いたいんですわ」と伝えました。

 

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Sir John Pope Hennessy

 

ヘネシーさんは「せやなぁ。個人的には全く問題ないと思てるねんけど、なんせ重大な事やから順序立てて処理せんと。まずはイギリス政府が命令が必要やな。もし日本政府が正式に交渉を始めるなら、できる限り手伝うで」と答え、さらに続けて

 

「その後やな、こういう金融関係の問題は、行政上『銀行家』が一番権力握っとる。せやから、各銀行にちゃんと説明して承認してもらわなあかんで。」とアドバイスをもらいます。

 

乗り込む銀行は3つ。

・東洋銀行

香港初の銀行で、且つ香港で通貨発行を初めて行った当時は絶対的権力を持った銀行でした。(設立から39年後の1884年には倒産しますが。)日本国との関係が深かったため特に問題がないだろうと考えられました。

 

・渣打銀行

スタンダードチャータード銀行。1862年から通貨を発行。(現在も発行中)

領事館とピットマンは、表立った反対意見は出されないと判断。

 

・匯豐銀行

HSBC銀行、1865年から通貨を発行。(現在も発行中)

一番の懸念はこの銀行。絶対反対するだろうと考え、真っ先にここをあたろうと決まりました。

 

そこでピットマンは早速、HSBCのトップであったトーマス・ジャクソン(SIr Thomas Jackson)に会いに行きます。かなりの覚悟で行ったところ「非常に友好的な態度」で反対どころか同意を得ることができました。文面を読んでいるとこれはかなり驚きの結果で、拍子抜けだったみたいです。

 

もちろんこの結果にみんな大喜び!

明治11年(1878年)1月17日、ピットマンはすぐに三井物産の益田社長に連絡、安藤領事も明治政府へ「めっちゃえぇ方向に進みました!」と大喜びで連絡しました。

ただ少し気がかりがあった安藤領事は1月19日に寺島外務大臣にも手紙を出します。

 

「ちょっと考えなあかんのは、今、アメリカ領事館がアメリカ銀貨を香港で流通させたいってもう要求している件ですわ。もし我が国も言い出したら喧嘩になりませんかね。波風が立つことは覚悟しなあきませんな。いずれにせよ、香港政府に正式に申し込むのかどうか早く相談したいですわ。もし正式に決まったら、私の方がすぐに香港政府と交渉しますよって」

 

新通貨流通のため、大きく動き出します。

 

※1:ヘネシー総督は香港で「一番、人種差別がなかった人」と言われています。ヘネシーさんが在任中、中国人も欧米人と同等の自由と平等の地位を得られるよう努力しました。残念ながら香港に住む欧米人からは疎まれていたようですが。。

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