香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

明治6年の民間日本人の香港居住所を特定か!?

鎖国をしていた江戸時代が終了してまだ間もない明治6年(1873年)、日本の民間人が香港でビジネスをしていたことが領事館の記録に記載されています。

 

香港でビジネスをしていたのは「駿浦屋(Sun Po & Company)」、日本本店は横浜本町1丁目で社名は駿府屋太郎商店、香港はその分店だそうです。香港では明治5年10月に開業。住所は「香港中環大街54號」。中環大街ってどこ?

 

本を続けて読むと「現在(昭和10年/1935年)の中華百貨公司(中華系百貨店)の東2,3件隣の位置にありました。あの辺りはすごい繁華街で人目を引きますね」と大きなヒント。

 

昭和10年/1935年で該当しそうな百貨店は全部で3つ。

  1. 現在でも絶大な人気を誇る高級ブランド専門百貨店「Lane Crawford(レーン・クロフォード)」1850年に開業。中環(セントラル)にありましたが、イギリス系なので却下。

 

2. 老舗百貨店「永安(Wing On Department Store)」は1907年6月28日に開業。場所が上環だったので、却下。

 

3. 老舗百貨店「先施(Sincere)」1900年1月8日に開業。住所は香港皇后大道172號。位置的にギリギリ中環なので、ここだと思うんですよね、個人的に!

 

写真でいうと黄色いところが先施(Sincere)があったと言われるところ、その東2、3軒隣と言われてるので、赤く囲ったところあたりかと思います。

 

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話は戻りまして、領事館の記録には「駿浦屋」の売上が記載されています。

 

売上記録

1月から同年12月

  1. 洋銀 10,990元

 

上記は漆器、化粧品の雑貨の販売による売上金額なり。

 

                       以上

                   明治6年12月30日

 

 

領事館の記録にはもう一人、上海で商売をしていた上野彌平さん(長崎県出身)もあります。さすが鎖国の江戸時代でも出島経由で海外とつながっていた長崎ですね。

 

1. 洋銀2,000元 備前有田焼陶器を販売した金額

1. 洋銀 1,200元 外国商品を購入した金額

 

上記は香港での売買金額なり。

 

                    以上  

                 12月30日

 

 

 

当時の上海と言えば、イギリス、フランス、アメリカによる租界が始まり賑わい始めた時代です。その一方で清朝と緊張状態にあったはず。そんな荒れ狂う中、上野さんは香港で商品を購入して、上海で外国人相手に商売をしていたのでしょうか。

 

また話が脱線しましたが、当時ちゃんと(?)香港に居住していたのは駿浦屋のみだったようです。公式記録に載っている中では日本人初となっていると思われる香港居住跡地に行ってみてください!(え?行かない?)

 

 

 

 

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