香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

騙されて苦力(クーリー)となった日本人、領事館へ逃げ込む。

明治9年(1876年)、日本は開国後10年も経っていませんでしたが、日本の交易範囲がどんどん開拓され、それに伴い海外へ出る日本人が増えていきました。外国船の船乗りとなって遠方の海洋に出て行くもの、外国人の召使いになるもの、そして売春婦になるものと様々でした。

 

海外に出る民間日本人は、当時とても価値があったメキシコ銀貨(※1)を餌に騙されるパターンが多かったようです。海外に出た途端、暴行を受けたり、詐欺にあったりして、右も左もわからない外国で路頭に迷い、物乞いに身を落とす日本人もいたそうです。

 

当時、東洋人は外国人(欧米人)に半奴隷化され、過酷な労働を強いられるケースもあり、その中には、日本人もいました。

 

f:id:kaori_neko:20190406144409j:plain

中華系クーリー

そんな背景がある明治初期の香港では、香港の日本領事館には大変な目にあった日本人が駆け込んでくることがありました。

 

駆け込んできた日本人は船員として船に乗り込みましたが、苦力(クーリー)のような待遇を受け、一度文句を言ったところ、船の底に監禁されました。他の船員たちも様々な虐待に耐え切れず、香港に停泊したのをチャンスとし、領事館に訴えたようです。領事館員は船長と交渉をしようと、彼らにパスポートや雇用契約書を出すように求めますが、なんとパスポートすら、そもそも持っていない有様です。口頭で訴えられても、何の証拠もない状態では処理も大変でした。

 

このことについて、安藤副領事は報告書内でこう言っています。

 

「こう言ったことが起こるのは外国人に取って、ほんまお恥ずかしいことですわ。そうは言うても、彼ら(民間日本人)が外国船の状況とか全く知らんということも背景にあります。メキシコ銀貨に目が眩んだとは言え、暴力船長の罠にかかって、契約で縛られて、自分の権利を取り戻されへん、ほんまに気の毒やと思います。」

 

当時、本当にこういう事件(?)は少なくなかったようで、明治8年(1875年)には「海外難民救助費」という枠が作られ、香港で助けを求める、騙された気の毒な民間日本人を救済していたそうです。日本領事館があって本当に良かった!

 

※1: メキシコ銀貨が当時流通している銀貨の中では一番重量があったため、価値があるとされていました。

 にほんブログ村 海外生活ブログ 香港情報へ
にほんブログ村

↑宜しくお願いします。