香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

ヘネシー総督、日本へ行く

香港のヘネシー(Sir John Pope Hennessy)総督は、大の日本好きで知られていました。そんな「I ❤️ JAPAN」なヘネシー総督が、安藤領事に「日本に訪問したい」と言い出しました。この頃は日本の銀貨を、法定通貨にできるかどうか奔放していた時期でしたので、安藤領事はめちゃくちゃ喜びます。

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Sir John Pope Hennessy

 

安藤領事は早速、日本の外務省に連絡、日本政府も「熱烈歓迎」の意思を伝えます。「明治時期 香港的日本人(明治時代 香港の日本人)」によると、日本側がかなりノリノリで、安藤領事も日本政府も「いつ?いつ?」とヘネシー総督に詰め寄っています。言い出しっぺのヘネシー総督、色々業務が立て込んでいたらしく、日程を決めてはリスケ、決めてはリスケを繰り返し、明治12年(1879年)5月末、イギリスの汽船に乗り、出発しました。日本外務省は総督をきちんと接待するために、安藤領事も一緒に帰国するよう命令を出しています。

 

ヘネシー総督を乗せた船は、6月7日に東京に到着しました。残念ながら日本でのヘネシー総督の行動記録は見つからないようですが、香港へは9月6日午後4時に到着したとありますので、かなり長い間、日本に逗留していたようです。

 

残っている記録によると、ヘネシー総督は日本の植物にかなり興味を示していたようで、日本政府へ「数種類の植物を香港へ持って帰りたい」と申し出たようです。外務省はすぐに東京三田にある政府施設の「三田育種場」から直接、香港の日本領事館へ届けられました。残念ながら、送られた植物の種類は不明です。

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