香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

ヘネシー総督、日本へ行く

香港のヘネシー(Sir John Pope Hennessy)総督は、大の日本好きで知られていました。そんな「I ❤️ JAPAN」なヘネシー総督が、安藤領事に「日本に訪問したい」と言い出しました。この頃は日本の銀貨を、法定通貨にできるかどうか奔放していた時期でしたので、…

日本人、日本領事館に詐欺をする?(最終回)

前回の話:http://kaori-neko.hatenablog.com/entry/2019/12/29/235246 常吉の供述によると、以前現れた3人の説明も嘘ばかりではなさそうです。 「昨年明治11年(1878年)12月28日に、僕は横浜に泊まっているアメリカ汽船「東京丸」で石炭運びの下働きをし…

香港人の新型コロナウイルス・ギャグ

香港人は社会的危機が起きると、いつも抜群のジョークを飛ばしてくれます。最近教えてもらっためちゃくちゃ面白い話を1つ。 神様が天界に集まって定例会を開こうとしています。 玉帝大帝(とっても偉い神様):千手観音がいないけど、どうした? 部下:手洗…

香港人ギャグ炸裂。映画「ビルサイト」?

社会的な問題が起きた時、香港人のギャグとして昇華する様はいつも舌を巻きますが、今回は、ベースとなるトピックを選ぶセンス、そして作り上げた作品のクオリティの高さに喝采でした。 私なりに解読して見ました。 ・タイトル「VIRUSITE」 ウイルス(Virus…

武漢肺炎について。今の日本にできること。

私がずっと注目してる中国人弁護士:陳秋實。 彼は公平公正、そこから来る正義をとても大切にしている人で「なぜ香港でこんなデモがおきるのか。貧富の差が原因の一つと言われるが、本当のなのか?」と自分の目で確かめるべく、2019年8月に香港デモを取材。…

香港人気ドラマ「黒市(Dark City)」

今期、私がハマりまくっている香港のドラマ「黒市(Dark City)」。 一話完結のホラードラマなのですが、どの回も人の愛(家族愛、夫婦愛、師弟愛)」がベースになっていて、胸を打たれるものがあります。 それに、今の一般的な香港の生活や社会の苦悩がしっ…

・日本人、日本領事館に詐欺をする(其の三)

長吉の件から1ヶ月後の明治12年(1879年)4月17日、前田源之助という人物が現れました。聞くところによると福島県巌城国標葉郡之荘の村民五右衛門の次男だと言います。ここにたどり着いた経緯は以下の通りでした。 「僕は明治10年(1877年)から横浜の外山…

日本人、日本領事館に詐欺をする(其の二)

さて日本領事館に助けを求めてきた加藤金次郎が香港から上海行きの船に乗船したはずにもかかわらず消えてしまししたが、それから約2ヶ月後の明治12年(1879年)3月23日に下総国葛飾郡新川村の村民で、横浜清正公前住吉町2丁目4番地魚屋((※1)の竹中長吉が…

日本人、日本領事館に詐欺をする?(其の一)

明治12年(1879年)1月30日、加藤金次郎(東京神田辦慶橋(?)松枝町1-2 医者加藤徳兵衛の次男、当時22歳半)が突然、領事館に現れました。本人の自己申告で、以下の経緯がわかりました。 「僕は明治11年(1878年)12月27日に横浜に泊まっていたアメリカ汽…

軍艦「清輝丸」の料理人が失踪!井上良馨、落ち込む。

日本の軍艦「清輝丸」がヨーロッパへ行く途中の明治11年(1878年)2月3日と、日本への帰路の途中だった明治12年(1879年)3月10日、香港に立ち寄っています。 明治12年2月2日、「清輝丸」が彼南港(ペナン港)へ停泊した際に料理人の吉崎万吉が突然失踪した…

明治11年、日本領事館の移転先

香港の日本領事館は、明治8年(1875年)2月12日からアレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)3號に構えていました。毎月の家賃は95元とわかっており、一番初めの住所では120元も取られていたのでかなり安くなっていたようです。ただアレキサンドラ・テ…

パリ万博メンバー、大工から百姓まで。香港に立ち寄る。

明治11年(1878年)5月20日~11月10日に開催されるパリ万国博覧会に参加する日本メンバーが、パリに行く途中に香港に立ち寄った記録があります。 明治11年2月18日に世界博事務局長の松方大蔵大臣率いるメンバーが香港に来ました。総人数は書かれていませんが…

デモに溢れる香港ユーモア

6月16日に行われた「逃亡犯条例改正案反対」デモの参加者は、主催者発表によると200万人となり、香港人口の26%が参加した計算となりました。9日に行われた103万人をはるかに超える規模でした。ところで警察発表ははるかに少ない33.8万人。主催者発表よりは…

デモのスローガン「反送中」ってなぁに?

昨日(9日)は103万人もの人が「逃犯条例の改正案反対」デモに参加しました。世界中で報道されたので知っている人が多いかと思います。ちなみに警察発表は24万人でしたが、いつも主催者と警察の発表は大きな差がありますので「香港あるある」です。 さて話…

三井物産の香港会社がオープン!事務所は誰もが知るあの場所!

新しい日本の貿易銀貨を広く流通させるために政府に協力することになった三井物産。こちらも着々と準備が進み、明治11年(1878年)8月17日に香港会社が正式開業しました。 開業場所は「畢打街7號(7 Pedder Street)」、Google Mapで調べるとセントラルにある…

【香港:Mount Davis Path】日本軍の幽霊が出る心霊スポット

香港には日本軍の幽霊が出るというスポットがいくつかあります。 その中でも有名な場所に、香港島の西にある「Mount Davis Path(マウント・デイビス・パス)」があります。ここは第二次世界大戦時代の遺跡「砲台跡」が何箇所にも残っています。山は標高269m…

日本の銀貨を法定通貨に。ライバルはアメリカ!?

香港政府と香港の有力銀行の反応が思ったより良く、大喜びの日本組ですが、アメリカも自国の銀貨を香港で法定通貨として認めさせたいと動いている件にかなりピリピリとしていました。 三井物産の執行さんが調べていくうちに、香港のヘネシー総督はアメリカ銀…

日本の銀貨を法定通貨に。香港政府と3大銀行へ乗り込み!

お金も香港に送ってこられ、三井物産の設立も着々と準備が進んでいましたが、あとは使うだけ!と言う訳には行かなかったみたいです。当時、明治政府は「小額銀貨とは言うても、広範囲で流通させたいから、香港政府に『法定通貨』として認めさせたい!」と考…

貿易通貨を送る準備する日本。受け取り準備をする香港。

日本の貿易銀貨を香港で流通させるために重要な人物ピットマンは、中国貿易で活躍したイギリス人ですが、当時明治政府に雇用されるなど日本と深い関係がある人物です。ピットマンは香港に来て日本の新銀貨流通のため、香港政府や東洋銀行(※1)に働きかけた…

イギリス船で日本人労働者が虐待される?領事館が調査

明治10年(1877年)8月9日、永野由松さんと渡辺角太郎さんが領事館にやってきました。 彼らの話によると、イギリス船(帆船)の船員になり横浜から香港へ来ました。ところが船内で虐待がひどく、耐え切れなかった二人は香港に到着後、船長ときちんと話し合い…

江戸時代後期、香港にいた日本人

かなり話がずれてしまいますが、香港に日本領事館ができる前、江戸後期に香港で過ごしていた日本人4名について記録がありましたので、紹介します。 「香港日報」(日本が香港占領時代に発行していた新聞)によると、香港で暮らし始めた日本人は、1846年(江…

港初の民間企業「駿浦屋」の倒産と三井物産

唐突に三井物産の名前が出てきましたが、明治9年から流通開始された新しい銀貨を、明治政府は三井物産と協力し、海外での流通を積極的に行おうと考えていました。しかし日本領事館は「一社だけに任せるのもなんやし、民間企業の「駿浦屋」にも手伝って欲しい…

明治10年(1877年)琉球人6名が英国船に救助される

前回、明治9年にフィリピンで助けられた3名の琉球人のお話をしましたが、翌年にも同じようなことが起こります。 琉球・頭間切奥間村の山城筑登之さん(56歳)、安里丹也さん(39歳)、比嘉築登雲上さん(30歳)、加那桃原さん(30歳)、武太山城さん(24歳…

明治9年、外資系企業の苦戦、中国系の台頭。

明治9年(1876年)9月23日頃の安藤副領事の報告に、当時の香港の経済状況が描かれています。 香港は明治7年(1874年)からずっと景気が思わしくなく、外資系企業は大きな打撃を受け、会社を清算するところも少なくありませんでした。外資系企業が立ち退き、…

騙されて苦力(クーリー)となった日本人、領事館へ逃げ込む。

明治9年(1876年)、日本は開国後10年も経っていませんでしたが、日本の交易範囲がどんどん開拓され、それに伴い海外へ出る日本人が増えていきました。外国船の船乗りとなって遠方の海洋に出て行くもの、外国人の召使いになるもの、そして売春婦になるものと…

偽造コイン流通経路。香港の日本領事館の調査。

新コインがそれほど流通していない時期から偽造コインが出やしないか、日本領事館は戦々恐々としていました。それは旧コインの偽コインが出まくっていたからです。 アモイ(廈門)で偽物の流通が確認されていました。明治9年6月15日頃、当時の廈門領事である…

貿易用の新銀貨登場。流通方法を香港で事前調査

「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」には貿易用銀貨が新しくなり、流通を始めたことが記載されいています。 明治8年(1875年)2月28日頃の公告第35号に基づき、我が国は新しい貿易銀貨を発行した。新しい銀貨は過去のものと見た目はほ…

苦力(クーリー)の輸出地「香港」とケネディー総督

少し話が逸れますが、その昔「苦力(クーリー)」という中国人労働者がいました。 19世紀中期、アメリカ西海岸やオーストラリアのシドニーなどで金脈が見つかったことでゴールドラッシュが起き、中国から多くの労働者「苦力(クーリー)」が香港を経由して「…

日本領事館スタッフ紹介。香港初の現地採用者!?

明治9年(1876年)の領事館メンバーが「明治時期 香港的日本人」に載っていました。当時の日本人は安藤さん、小林さん、寺田さんの3人。 今までの報告書に良く出てくる「安藤太郎副領事」は、明治7年7月1日に来港、明治16年(1883年)までの9年間、香港にい…

琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語(後編)

前回のお話 : 嵐に巻き込まれた琉球人4人。1人が亡くなってしまうが、3人はなんとかフィリピンへ上陸。自分たちがたどり着いたのは台湾だと思い込んでた琉球人、上陸後に現地人を見つけるも、台湾で起きた「宮古島島民遭難事件」を思い出し、恐怖に震えま…