香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

日本人、日本領事館に詐欺をする?(其の一)

明治12年(1879年)1月30日、加藤金次郎(東京神田辦慶橋(?)松枝町1-2 医者加藤徳兵衛の次男、当時22歳半)が突然、領事館に現れました。本人の自己申告で、以下の経緯がわかりました。

 

「僕は明治11年(1878年)12月27日に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」(※1)に下働きとして乗船しました。出発前に降りる予定でしたが、船での仕事がきつくって、つい、うとうとしてしまったんです。気が付いたら出航していて海の上にいました。慌てて甲板にあがり、船員に伝えたのですが『香港着いたらおりぃや。陸に降りてから考ぇ』と言われました。とはいえ、一文も持ち合わせていなくどうしたもんかと、途方に暮れておりましたら、親切な中国人が現れました。

 

『ここの仕事、給料えぇで。でもな、その和装はあかん。中国服に着替ぇ』と言われ、中国人と服を取り替えました。ところが聞いていたのとは大変違っており、広東では、それはそれはひどい扱いで耐え切れず逃げ出してきました。先日28日に香港に着きまして、日本語ができる中国人に会い、とても同情してくれまして一晩宿を貸してくれました。翌日になり、いつまでも頼るわけには行かないと思っておりましたところ、巡査が香港には日本領事館があると教えてくれ、またその巡査が一晩宿を貸してくれまして、本日、伺った次第でございます。」

 

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さてこの報告書を読んだ安藤領事、「なんやねん、これ、胡散臭いな。まるで三文小説やんか。はぁ?中国の村に着いたら虐待されて、逃げてきて、香港で中国人に助けられて、もう一晩泊まらしてくれも言われへん?何言うとんねん」と少しも信じていません。

 

 

これは悪質やなぁと考えつつも、その日に上海太古洋行船がちょうど出航するので、領事館は加藤金次郎に10銀元(円?)を貸した上、更に2銀元と服をあげました。領事館は「この船は上海に行くから、上海着いたら、横浜行きの船に乗り換えるんやで」と言い、「それからな、貸した10銀元は日本に戻ったら20日以内に大蔵省に返してや」とも付け足しました。

 

この金次郎、結局30日の船には間に合わず、翌31日の船に乗って帰って行きました。安藤領事は上海の品川総領事にこの事を手紙で伝え、金次郎が着いたら面倒を見るようにお願いしました。

 

さて奇妙な事が起こりました。

上海の品川総領事は、船が着いたら2、3日内に領事館に来るだろうと思って待っていたのですが、金次郎は現れません。品川総領事は「これはおかしいぞ?」と思い、金次郎が乗ってきたはずの船の船長に聞くと「乗ってまへんで」と答えるではありませんか!

 

香港で乗船したはずの人物が、上海に着いていない。いや、船長は乗っていないと言っている。。。。不安を感じた品川総領事は、外務省に加藤金次郎という人物について実在する人物かどうか問い合わせます。この知らせを聞いた安藤領事は「ほら、みぃや。やっぱり怪しいねん」と益々、疑念を強めていきました。

そしてまた事件(?)が発生します。(続く)

 

※1:アメリカ汽船の元の名前は「UNCLE SAM」。ニューヨークで竣工した木造船で、明治3年(1870年)に日本が購入し「東京丸」となった。

 

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