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軍艦「清輝丸」の料理人が失踪!井上良馨、落ち込む。

日本の軍艦「清輝丸」がヨーロッパへ行く途中の明治11年(1878年)2月3日と、日本への帰路の途中だった明治12年(1879年)3月10日、香港に立ち寄っています。

 

明治12年2月2日、「清輝丸」が彼南港(ペナン港)へ停泊した際に料理人の吉崎万吉が突然失踪したそうです。軍艦内はもとより、陸地やありとあらゆる手段を使って探したらしいのですが、全く行方がわかりません。最終的にはおそらく海に落ちてしまったのだろうと、海底調査も数回、行われましたが結局何もわかりませんでした。

 

一人の部下を失ったことに井上良馨は責任を感じ、その後も何度も調査を行ったとあります。その5日後の2月7日に井上良馨は、仲が良かった安藤領事に苦しい気持ちを吐露するような手紙を送っています。

 

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井上良馨(wikiより)

「出発してから距離はますます遠くなったけど、僕は君の仕事と安全をめっちゃ気にかけてるよ。僕らの船は、去年(明治11年)のヨーロッパ視察も無事に終わって、6日の午後に無事にシンガポール着いたで。軍艦設備のメンテナンスとかで3週間くらい停泊して、それからマニラに行く予定や。

 

ところで、この数日前にな、うちの軍艦が彼南(ペナン)港に停泊してた時にな、吉崎万吉っていう料理人がおらんくなってん。彼の貴重品とか衣服とか全部船内に残っててな、帽子と靴が船首に落ちててん。調べたけど事件性はないみたいやし、吉崎と同室のやつにな『前日とかどんな感じやった?』って聞いたら、『何かお母さん亡くならはったみたいで、よぉ泣いてましたし、仕事も上の空でしたわ』て言うやん?服とか貴重品残ってるし、陸へ逃げたとも考えにくいし、やっぱり母親の死がショックで突発的に深夜の海に飛び込んだんやと思てる。

 

(2月)2日と3日の両日、地元警察にもお願いして、あと自分とこの船員も総出で、陸と海底の調査したんや。なーんも見つからへんかった。特にこの港は水流が激しいから、捜索も難しかってん。それでな、うちの船の出発も2日間遅れてん。」

 

井上良馨は、彼南(ペナン)港のトップに「もし遺体が見つかったら、土葬して墓石を立ててあげてもらえませんか。費用は香港にある日本領事館に言うてもろたらいいです。うちは費用出しますんで、助けてください。」と手紙を送っています。

 

井上良馨の願いもむなしく、遺体は見つからず、香港にある日本領事館にも連絡は来なかったとのことです。

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