香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

日本人、日本領事館に詐欺をする?(最終回)

前回の話:http://kaori-neko.hatenablog.com/entry/2019/12/29/235246

 

常吉の供述によると、以前現れた3人の説明も嘘ばかりではなさそうです。

 

「昨年明治11年(1878年)12月28日に、僕は横浜に泊まっているアメリカ汽船「東京丸」で石炭運びの下働きをしていました。仕事が終わった後、出口が分からなくなり、次の日にでも下りればいいだろうと考えていました。そこで船の上でボーッとしていたところが船が出航してしまったので、甲板にいた船の士官にその経緯を話しましたところ『来年の1月6日に香港に着くから。お前一人やったら、こっそり船に乗せて日本へ連れて帰ることもできるけど、いかんせん、お前の他に金次郎、長吉、源之助と4人もいたらちょっと無理。香港についたら日本領事館へ行き』と言われました。

 

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困り切っている私たちの様子を見て、同情してくれたのが同じ船に乗っていた中国人の李逢元でした。一緒に広東に行こうと誘ってくれ、月給7元(※1)の給金も出すと約束してくれました。その時、私たちは無一文だったので、どんな仕事でもして日本に帰るお金くらいは稼ごうと考えていました。

 

広東についてから、しばらく見習いとして働き、その後は木の伐採など基本的な仕事ばかりしました。給与はもらえませんでした。

 

それから香港にきたのですが、李逢元は突然「アメリカのサンフランシスコ(※2)に行く。お前が中国籍になるなら連れて行ってやる」と言われました。ここで中国籍になってしまいましたら、もう一生、日本へは帰れません。給料は全くもらえておらず、ここまできたら、香港の日本領事館へ助けを求めるしかありませんでした。

 

「東京丸」にいた時に、船にいた外国人に洋銀1元をもらったので、それを李逢元に現地通貨に換えてもらいました。他の三人も多少の蓄えがあったので、交換したようです。そして翌朝、李逢元は今までの給与代わりにと少しの服を私たちにくれました。中国籍にならないためなら、どんな事でもやろうと思ったのです。

 

明治12年3月23日

石井常吉

 

常吉は8月9日出発のイギリス船で横浜へ帰って行きました。

ところで領事館が取り逃がしていた金次郎と長吉ですが、金次郎は7月に神奈川県で見つかり逮捕、長吉は11月に東京裁判所検視局へ自首してきました。

 

すったもんだがあった事件でしたが、当時、香港の日本領事館はこうやって難民となった日本人を助けていたようです。

 

(※1)当時の「上海~長崎」間の船代は10元。

(※2)当時はゴールドラッシュで多くの中国人が向かっていた

 

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