香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

2019-03-01から1ヶ月間の記事一覧

偽造コイン流通経路。香港の日本領事館の調査。

新コインがそれほど流通していない時期から偽造コインが出やしないか、日本領事館は戦々恐々としていました。それは旧コインの偽コインが出まくっていたからです。 アモイ(廈門)で偽物の流通が確認されていました。明治9年6月15日頃、当時の廈門領事である…

貿易用の新銀貨登場。流通方法を香港で事前調査

「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」には貿易用銀貨が新しくなり、流通を始めたことが記載されいています。 明治8年(1875年)2月28日頃の公告第35号に基づき、我が国は新しい貿易銀貨を発行した。新しい銀貨は過去のものと見た目はほ…

苦力(クーリー)の輸出地「香港」とケネディー総督

少し話が逸れますが、その昔「苦力(クーリー)」という中国人労働者がいました。 19世紀中期、アメリカ西海岸やオーストラリアのシドニーなどで金脈が見つかったことでゴールドラッシュが起き、中国から多くの労働者「苦力(クーリー)」が香港を経由して「…

日本領事館スタッフ紹介。香港初の現地採用者!?

明治9年(1876年)の領事館メンバーが「明治時期 香港的日本人」に載っていました。当時の日本人は安藤さん、小林さん、寺田さんの3人。 今までの報告書に良く出てくる「安藤太郎副領事」は、明治7年7月1日に来港、明治16年(1883年)までの9年間、香港にい…

琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語(後編)

前回のお話 : 嵐に巻き込まれた琉球人4人。1人が亡くなってしまうが、3人はなんとかフィリピンへ上陸。自分たちがたどり着いたのは台湾だと思い込んでた琉球人、上陸後に現地人を見つけるも、台湾で起きた「宮古島島民遭難事件」を思い出し、恐怖に震えま…

琉球人フィリピン漂流記。香港の日本領事館で語られる物語

明治9年(1876年)8月6日、香港にあるスペイン領事が日本領事館を訪れました。何の用事かと思いましたら「うち(スペイン)の植民地のフィリピンに日本人3人が漂流してきたから保護しててん。お渡しするな。」とわざわざ3人を連れてきてくれたのです。安藤副…

日本海軍士官、イギリス軍艦に乗る。領事館は進捗チェック!

「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」に、明治初期の日本海軍についてこう書かれています。 「明治元年、うちの海軍の貧弱さと言ったら、言い訳というか何も言われへんほど確かな事実。もうホンマ仕方ないからこの事実をちゃんと認識し…

明治8年)在香港日本領事館の引越し、日本人の人数

在香港日本領事館は開設してすぐに「そもそも領事館は必要なの?」との存在の危機に直面していましたが結局「香港の日本領事館は必要」と判断され、明治8年2月12日に現ヴエルブの部屋から、アレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)3號に引っ越しました…

日本領事館、また海軍の尻拭い?百貨店から請求書届く。

嵐が過ぎた約2ヶ月後の11月15日に、軍艦「日進号」が突然入港してきます。「アモイから台湾へ行く途中に嵐に遭い、風に流され香港まできた」が原因だったようです。台風が軍艦を流してしまうほどひどいものだったことがわかりますね。幸いにして乗組員にけが…

香港を襲う巨大台風、日本のご婦人が海へ落ちた?

領事館の記録には1874年に香港を襲った台風の記録が残っています。香港のメディアでも「香港で初めて記録が残っている台風」として紹介されています。 「明治時期 香港的日本人」によると明治7年(1874年)9月22日の午後8時より暴風雨になり、それは次の日の…

働きまっせ!台湾出兵と香港領事館に売り込みにくる外国人

アメリカ人のリチャード・ルジャンドルが日本に肩入れしすぎてアメリカ・イギリスが猛抗議をしましたが、もちろん清朝もすごい危機感を抱いていました。実は、ルジャンドルが日本が台湾侵略に成功した後、貿易の利益をアメリカで独占し、ゆくゆくは植民地に…