香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

働きまっせ!台湾出兵と香港領事館に売り込みにくる外国人

アメリカ人のリチャード・ルジャンドルが日本に肩入れしすぎてアメリカ・イギリスが猛抗議をしましたが、もちろん清朝もすごい危機感を抱いていました。実は、ルジャンドルが日本が台湾侵略に成功した後、貿易の利益をアメリカで独占し、ゆくゆくは植民地にしようと企んでいたことを聞きつけていたのです。清朝はその事を理解していたので必死に止めようとしました。

 

清朝の有名な政治家「李鴻章」は日本の台湾侵略計画論を唱え「日本はアメリカ人を頼みとしている。もしアメリカが自分たちの人間や船を引き揚げたら、日本は兵を撤退するだろう」と発表、それを聞いた清朝は正式にアメリカへ抗議をします。一方、アメリカは清朝との話し合いのためにアモイへ向かっていたルジャンドルを逮捕してしまいます。

 

インターネットの情報では「ルジャンドル、アメリカ水兵により逮捕!」までしか記載されていませんが「明治時期 香港的日本人」には日本側の様子が記されていました。香港にいた城島謙蔵らはこの知らせに仰天、すぐさまアモイへ出向き、調査を行ったようです。

 

         f:id:kaori_neko:20190218220942j:plain



最終的に、ルジャンドルはアメリカ領事の誤解だったと判明後すぐに釈放されました。釈放後、8月20日に上海へ、それから天津経由で北京行き、清朝政府と交渉を行っていた柳原公使一行に加わり手助けをしています。

 

柳原公使と清朝政府との交渉で、清朝は台湾が清朝(中国)に属するかという問題には横に置き「どのような理由があっても日本は交渉もなく(台湾へ)直接出兵すべきではない」と日本のこじつけによる台湾侵略を激しく責めたとあります。一方、柳原公使は「統治が及ばない土地の民が我が国民を殺戮したのだから、我々が台湾を征伐(征台)して何の不思議があろうか(いや、ない)。それに前年(多分、1873年)に副島大使が「化外の地」についてわざわざ確認しただろう」と猛反論しています。

 

香港の安藤副領事の報告によると「日本が台湾出兵するらしい」との情報が流れると、香港在住の外国人が日本領事館に押しかけ「日本政府で雇ってもらわれへん?めっちゃ働くし」と猛アピール!領事館は日本の外務省へ問い合わせ、回答が来るまではだんまりを決めてたようです。外務省から「丁寧に、もうホンマ丁寧にお断りして」と返事がきたようなので、領事館は集まっていただいたみなさんが気分を害さないよう丁寧にお断りをしていったんでしょうね。

 

さて台湾出兵の話ですが、その後はどうなったのでしょうか。本には以下のように記されています。

西郷都督(西郷従道/西郷隆盛の弟)達によって遠征(台湾出兵)がひと段落した後、全権を持った大久保利通が9月10日に北京に着き、交渉が行われました。安藤副領事の報告では、交渉が行われていた期間の香港は「日中関係について、香港や広東省エリアでは特に変な噂も聞かず、ヨーロッパ勢も中国人民もみんな北京での結果を待っている。」と静かだったようです。

 

 

 にほんブログ村 海外生活ブログ 香港情報へ
にほんブログ村

↑ご興味がありましたら、宜しくお願いします。