香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

・日本人、日本領事館に詐欺をする(其の三)

長吉の件から1ヶ月後の明治12年(1879年)4月17日、前田源之助という人物が現れました。聞くところによると福島県巌城国標葉郡之荘の村民五右衛門の次男だと言います。ここにたどり着いた経緯は以下の通りでした。

 

「僕は明治10年(1877年)から横浜の外山要次郎の家で住み込みの下働きをしておりました。今年の2月に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」に乗船しました。とても疲れていたため、乗船した途端、眠ってしまいました。出発前に降りる予定でしたが、気が付いたら出航していて海の上にいました。その船の士官が『1月4日に香港に着いたら、領事館に行けばいい』と言いました。

 

船の上で「阿元」という中国人から『あんたら真面目そうやしな、広東に連れてったるわ。向こうでの面倒みたるし。』と言われて広東に行きましたが、中国語はわからないし、行動も制限され、仕事も大変つらく、隙を見て逃げてきた次第です。16日に香港に到着し、すでに知り合いになっていた阿元と一緒にその辺で一晩を過ごし、本日領事館に助けを求めに来た次第です。」

 

もう二人も逃してしまっていた安藤領事、今回は逃さないと強く決心をします。5月6日に出発するイギリス帆船に乗って神戸に帰すことにしました。この船の船長は安藤領事と仲が良く、安藤領事はそれまでの経緯と今後のお願いをします。船長は「わかったわ。任しといてや」と二つ返事で引き受けます。

 

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船長は安藤領事との約束通り、源之助の船代を無料にしてやり、25日に神戸に到着した時にはすぐに源之助の身柄を兵庫県警へ引き渡しました。源之助は最終的には神奈川県へ搬送することになっており、まずは27日に大阪に移されたのですが、この源之助、移動中の列車で大暴れしています。同行していた井上巡査に縄を解いてほしいと言い出しましたが、巡査はそれを無視、すると源之助が搬送中に大暴れ、巡査の左手中指を噛んでいます。さて、神奈川についてからの源之助の供述によると仲間は彼を含め4名だとわかりました。

 

そして最後の一人、東京府下第2大区12社区麻布桜田町61万知の辺見善兵衛の甥、石井常吉(27歳)も7月27日に香港の日本領事館に現れました。

 

次回、常吉の証言で詳細がわかります。

 

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