香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

日本化教育。ただし。。

日本による香港占領3年8ヶ月の間、もちろん「日本化教育」を施したわけです。

香港と台湾で決定的に違ったのは、日本がやってきた時に、インフラも教育も十分になかった台湾と、

当時すでにしっかりしたインフラと教育制度がイギリスによって敷かれた香港。

 

しかも、イギリスは文化が香港とあまりに違いすぎたため、祝い事などはある程度、自由にさせていたようです。

それに比べ、文化や思想が同じアジア圏である日本は、そうはさせなかったようですね。。

そこが、香港人が「悲惨な3年8ヶ月」と表現するに至っているのだと思うのですが。

 

では、今の香港はというと。。。

 

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香港は、美術館や博物館にある説明書きを教育の一環で、子供に読みあげさせる親も少なくありません。

この時もそうでした。

 

母:官(政府管轄の)学校では英語の代わりに日本語が使用され、文化、礼節も日本式となった。

  ―――つまり、当時の香港人は日本語が喋れたのよ。

娘:えぇ~~、私、喋れな~い。。。

 

そこのお母さん、それでいいのですね。突っ込みポイントはそこなのですね。

娘ちゃん、そりゃ、あなた、習っていないんだから喋れないでしょう。私が教えてあげましょう。

 

母:1941年には1万8千人だった生徒は1945年には4千人まで減少した。

  ———この年(1945年)はアンディー・ラウ(劉徳華)がうまれた年よ。

娘:(反応無し)

 

そこのお母さん、アンディーはそんなに年とっていませんよ。仮にそうだとしても、それが最重要事項ですか?

 

やっぱり香港、ありがとう。

 

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