香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

革命新聞(戦う香港)

清朝へ戦いを挑む人々。

その人たちにとって、香港は自由のある場所であったようです。

でも、別にイギリスは「革命戦士を応援する!」わけもなく、

ただ単に自分の植民地(香港)支配に影響が出ないよう、

腐心していたのです。

 

それは当然ですな。

 

イギリスは革命の戦士取り扱いには非常に慎重でした。

あまり厳しく弾圧をしてしまうと、香港内が荒れてしまう可能性があるので

「香港を安定させないと、困るでしょ?ねぇ、みんな!」

というような具合で、ある程度は自由にさせていたようです。

 

f:id:kaori_neko:20130727141118j:plain

 

でも、前回言ったように派手にやらかした人を受け入れると

さすがに清朝に言い訳がつかないので、それはしっかり拒絶したようですな。

その辺の政治感覚は絶妙というか、その他植民地でも

お国の反乱を押さえるのに追われていたイギリスのセンスです。

f:id:kaori_neko:20130727140850j:plain 

 

そんなこんなで、革命戦士は香港で「革命新聞(革命報刊)」を次々発行。

香港の人々は、戦士の「革命思想」や「革命運動」に興味を持ちます。

そこで世論を味方にし、準備を進め、突入して行ったのですね。

 

ちなみに、日本が支配を始めた時、それら革命新聞は悉く廃刊に追い込まれ、

革命党(革命黨)によって創刊された由緒正しき(?)「中國日報(china daily)」

という新聞しか残りませんでした。

 

http://overseas.blogmura.com/

↑ポチッとよろしくです。