革命新聞(戦う香港)
清朝へ戦いを挑む人々。
その人たちにとって、香港は自由のある場所であったようです。
でも、別にイギリスは「革命戦士を応援する!」わけもなく、
ただ単に自分の植民地(香港)支配に影響が出ないよう、
腐心していたのです。
それは当然ですな。
イギリスは革命の戦士取り扱いには非常に慎重でした。
あまり厳しく弾圧をしてしまうと、香港内が荒れてしまう可能性があるので
「香港を安定させないと、困るでしょ?ねぇ、みんな!」
というような具合で、ある程度は自由にさせていたようです。
でも、前回言ったように派手にやらかした人を受け入れると
さすがに清朝に言い訳がつかないので、それはしっかり拒絶したようですな。
その辺の政治感覚は絶妙というか、その他植民地でも
お国の反乱を押さえるのに追われていたイギリスのセンスです。
そんなこんなで、革命戦士は香港で「革命新聞(革命報刊)」を次々発行。
香港の人々は、戦士の「革命思想」や「革命運動」に興味を持ちます。
そこで世論を味方にし、準備を進め、突入して行ったのですね。
ちなみに、日本が支配を始めた時、それら革命新聞は悉く廃刊に追い込まれ、
革命党(革命黨)によって創刊された由緒正しき(?)「中國日報(china daily)」
という新聞しか残りませんでした。
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