香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

打倒、清王朝。by 孫文先生(戦う香港)

清朝打倒を目指し、様々な活動が繰り広げられていた19世紀後半~20世紀。

孫文先生の事を良く知らなくても名前くらいは聞いた事があると思います。

 

私はご縁あって、孫文先生ゆかりの史跡がいっぱい!の所を良く通ります。

これは追々、ご紹介できればと思います。

 

さてさて。

香港が「打倒!清朝!」に大きく貢献したエリアであるというのは、

興味のある人以外には、案外知られていないのではないでしょうか?

 

 

当時、香港はすでにイギリス領となり、中国人民にとって、「近くて、

同胞がたくさんいる海外」であったわけです。

そうなると、「反現政治体制」の人間が秘密結社、同胞会、反政府機関紙を

作成するのに便利な場所と言えば・・・?

 

f:id:kaori_neko:20121104130420j:plainf:id:kaori_neko:20130727140240j:plain

 

 

そうです。

清朝が口出しできないエリアの「香港」となる訳です。

清朝軍との戦い破れた者や傷ついた者が香港に逃げ込み、体制を整え、

再び戦いへ赴く。

そんな救護施設のような役割を香港は果たしていたようです。

 

ただ、1895年の広州での争いで、派手に負けちまった孫文先生は、

その香港にすら入れなくなり、ロンドンへ、そして日本へも留学しています。

 

なぜ、香港に入れなかったか?

さすがのイギリスも、派手に負けた孫文を受け入れるとなると、まだ当時

存在している清朝を敵に回しますから。

余計な戦いはしない。

いやいや、他の戦いで大変お忙しいイギリスでありました。

 

http://overseas.blogmura.com/

↑ポチッとよろしくです。