幸福と絶望(ゴキ様物語)
その夜は、もうすぐ十五夜を迎えるお月様が
ぽんやりとまぁるくなり始めた頃でした。
あたくしは、お友達のお家へお呼ばれして
楽しいパーティーに参加していました。
手作りの美味しいアボガドソースのサラダ、
ピリ辛トマトスープ、それにほろ苦いクリームリキュールと
バニラアイスクリームのデザートは大人の味で
どきどきいたしました。
お友達と最終に近い地下鉄に乗って、そして
時々まぁるいお月様が顔をのぞかせるビルの合間を
歩いて帰りましたのよ。
まだ暑い夜でしたけれど、時折、吹く風が秋を感じさせる
静かな街でした。
秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども
風の音にぞ 驚かれぬる
(古今和歌集)
そんな歌がふと頭に浮かぶ、美しい夜でした。
アパートに着きますと、管理人のおじさんがいつものように
笑顔で迎えてくれました。
「こんばんは。バイバイ。」
それだけの会話ですけれど、帰ってきた実感を持つには
十分な一言でございました。
リフト(英国に影響された香港ではエレベーターをこう申します)で
ふわっと上にあがり、扉が開きますと、そこはすぐあたくしの部屋で
ございます。
鍵を鍵穴に差込み、回すと「カチャッ」と小気味良い音がし、
すぅっと扉が開きます。
私は心地よい気だるさを感じながら、部屋の暗闇へ身体を忍ばせました。
部屋の明かりをつけ、エセ畳の上に座り込んだあたくしは、ぼぉっと
しながら本を手にいたしました。
半分眠気に襲われながらも、本の文字を愛でていたあたくしは幸せの境地でした。
そんな至福の一時に、あたくしの左端の視界に何か黒く動く物が入ったではありませんか。
全身の筋肉が凍りつきと同時に身体中の毛穴が開くのを感じながら、素早く左に振り向いたのです。
残念ながら悪い予感というものは往々にして、何よりも正しく当たるものでございます。
そうやって、人類は生きながらえてきたのでしょう。
そこには最悪のものがおりました。
ゴキブリ。。。
その瞬間、あたくしは人生に少しばかり絶望したのです。
↑ポチッとよろしくです。