香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

苦力(クーリー)の輸出地「香港」とケネディー総督

少し話が逸れますが、その昔「苦力(クーリー)」という中国人労働者がいました。

19世紀中期、アメリカ西海岸やオーストラリアのシドニーなどで金脈が見つかったことでゴールドラッシュが起き、中国から多くの労働者「苦力(クーリー)」が香港を経由して「輸出」されていました。

 

例えば、1848年にアメリカ・カルフォルニア州で金脈が見つかった際、その翌年には大量の中国人労働者の輸出が開始され、1852年には香港から3万人のクーリーを送り込むために44隻もの船がカルフォルニアに行っています。

 

当時、香港には「苦力(クーリー)」闇市があり、多くのブローカーも存在、労働者のことを「豬仔(ブタちゃん)」と呼び、ひどい雇用条件で人を「輸出」していたようです。(人身売買ですね。。)

 

何も知らずに騙された形で連れて行かれた人たちは、労働先で雇用主と衝突を起こし、その度に役人と領事館のスタッフが仲裁に入っていたようです。

 

そんな海外でのクーリー騒動が、香港の総督人事にも影響します。1872年から香港の総督だったケネディーさん(Sir Arthur Edward Kennedy)。1873年にはクーリー船が香港に泊まることを禁止、クーリー貿易を衰退させようとした経験があり、香港人からの人気も高かったようです。

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Sir Arthur Edward Kennedy(ケネディ総督)

 

そんなケネディーさんは当時ゴールドラッシュに沸き、クーリー問題を抱えていたオーストラリアのQueensland(クイーズランド)に派遣されることが決まりました。ケネディーさんは香港で5年の経験があるだけでなく、以前にはオーストラリアでも勤務していた経験があるので、これほどの適任はいなかったようです。

 

余談ですが、ケネディーさんは1883年に亡くなりましたが、香港市民はケネディーさんを偲んで、1887年に銅像を建てました。その銅像はセントラルよりのアドミラルティにある「香港動植物公園」に設置されていましたが、1941年から香港を占領していた日本軍により溶かされてしまったそうです。(香港人の皆さん、す、すんません。。)

 

 

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