暗殺現場も100年経てば。。(香港、革命的歴史)
我が家の近くに暗殺現場があります。
暗殺された方は「楊衢雲」(ヤン ヘンユン)。
日本人はマニアじゃないと知らないだろうな~。
香港生まれ、香港育ち。
見た目の物静かな印象通り(?)英語教師をされていたそうです。
でも、見た目とは正反対(?)な熱い理想を抱き、孫中山(孫文)を
助けた人です。
その助けっぷりは、日本語で言う所の「女房役」がぴったりかと。
孫文が設立した結社に入り、1895年、広州蜂起の際には広州でガンガンに攻めまくる
彼のために、香港で人や兵器を手配するなど、まさに女房役。後方支援。
広州蜂起が大失敗に終わり、衢雲はベトナムやシンガポールへと落ちて行きますが、
孫文が日本にいると知った彼は、速攻「会いに行くよ!」と日本へ。
孫文に会いに行った彼に待っていた出来事とは。。
时总理对杨责难备至,衢云俯首无语,遂相好如初。
(孫文は徹底的に彼を責めて、責め立てた。衢雲はうなだれ一言も発しなかった。
ただ孫文は責め終えた後は、以前のように仲良くなった。)
これは。。。もしやっ!
「ツンデレ」ですか???!!
こんな所にもツンデレ文化がっ!日本だけものと思っていたのにっ。
冗談はさておき、その後、1900年、革命党戦士が再び立ち上がります。
衢雲も急いで香港へ。
様々な経緯の中、「一党不能有二魁」(一つの党に二人も党首はいらない)
とその地位から身を引き、孫文に全権をゆだねます。
ところが、また革命は失敗に終わります。
やっぱり、一つの王朝を倒す訳ですから、そう簡単にはいきません。
また衢雲の命がやばくなります。
周りが、「逃げて下さいっ。衢雲さん!」と勧める中、彼はこういいました。
「男儿死则死矣,何避为。吾宁授徒以养妻子,不忍虚糜公款,俾立一好模范为同人先。」
(男は死ぬ時は死ぬんだ、なぜ逃げるんだ。みんなに頼んで妻子を養ってもらってでも、公金は無駄に使わない方がいい。なら、一つ、みんなに良い模範でも見せてやろうじゃないか。)
どこまで男前なんでしょう。
そうして、逃げも隠れもしなかった衢雲は、1901年、清朝の放った刺客に命を奪われました。
それがここなのですが、今やシュールな現代アート(?)に囲まれています。
時代は否が応でも移り行くのです。
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