香港、小さな場所だと思いきや。

香港の過去や現在を、斜め上の視点で観察。

日本人、日本領事館に詐欺をする(其の二)

さて日本領事館に助けを求めてきた加藤金次郎が香港から上海行きの船に乗船したはずにもかかわらず消えてしまししたが、それから約2ヶ月後の明治12年(1879年)3月23日に下総国葛飾郡新川村の村民で、横浜清正公前住吉町2丁目4番地魚屋((※1)の竹中長吉が、香港の日本領事館に現れました。そして本人の自己申告によると以下の詳細がわかりました。

 

「僕は明治11年(1878年)12月27日に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」に乗船しました。その時は松影町2丁目2番地の忍野常松のところで下働きをしておりましたが、とても疲れており、乗船した途端、眠ってしまいました。出発前に降りる予定でしたが、気が付いたら出航していて海の上にいました。その船の士官が『1月4日に香港に着いたら、領事館に行けばいい』と言いました。私のような人間が他にも3名(前回の金次郎、常吉、もう1名は不明)おりました。

 

船の上ではある中国人から『広東にな、えぇ仕事あるで。でもな、その和装はあかん。中国服に着替ぇ。それから髪型も変えや』と言われました。何となく言いくるめられまして、中国語もわからない、雇い主の名前もわからない状況で、広東に着いたあとは働くことになりました。ところが聞いていた話とは全く違って、ひどい仕打ちにあい、給与も一切もらえず、辛い思いをしました。

 

そこでの仕事を辞めて香港に来たのですが、一文も持っていないので領事館に助けを求めた次第です。」

 

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「これ何?この前の消えた金次郎と一緒やん。めちゃ怪しいやん。仲間の可能性あるな。」

安藤領事はもちろんメチャクチャ疑います。

 

翌日24日、安藤領事は神奈川県庁の野村さんに手紙を送ります。

「長吉は本日出発のイギリス船で日本へ帰すわ。こいつの言うてることはっきりせんことが多くて、こっちでは調べきられへん。長吉が横浜に戻ったら貴所にて調べてくれへん?可能性としては、中国人に横浜で誘われて船に乗り込んで、荷物の間にでも隠れとったんちゃうか。」

 

領事館は長吉が出発する時には26元30仙(セント)を貸してあげたようです。

 

さてこの長吉、日本に戻ったはずなのですが神奈川県庁には現れませんでした。神奈川県巡査の加藤時敏の調査によると長吉が言った住所や地名は虚偽だったそうです。

 

これで終わりかと思いきや、まだ話は続きます。

 

※1:「明治時期 香港的日本人(明治初期における香港日本人)」の記述のまま書きました。下総国は戸籍で、現住所が横浜ということでしょうか。

 

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日本人、日本領事館に詐欺をする?(其の一)

明治12年(1879年)1月30日、加藤金次郎(東京神田辦慶橋(?)松枝町1-2 医者加藤徳兵衛の次男、当時22歳半)が突然、領事館に現れました。本人の自己申告で、以下の経緯がわかりました。

 

「僕は明治11年(1878年)12月27日に横浜に泊まっていたアメリカ汽船「東京丸」(※1)に下働きとして乗船しました。出発前に降りる予定でしたが、船での仕事がきつくって、つい、うとうとしてしまったんです。気が付いたら出航していて海の上にいました。慌てて甲板にあがり、船員に伝えたのですが『香港着いたらおりぃや。陸に降りてから考ぇ』と言われました。とはいえ、一文も持ち合わせていなくどうしたもんかと、途方に暮れておりましたら、親切な中国人が現れました。

 

『ここの仕事、給料えぇで。でもな、その和装はあかん。中国服に着替ぇ』と言われ、中国人と服を取り替えました。ところが聞いていたのとは大変違っており、広東では、それはそれはひどい扱いで耐え切れず逃げ出してきました。先日28日に香港に着きまして、日本語ができる中国人に会い、とても同情してくれまして一晩宿を貸してくれました。翌日になり、いつまでも頼るわけには行かないと思っておりましたところ、巡査が香港には日本領事館があると教えてくれ、またその巡査が一晩宿を貸してくれまして、本日、伺った次第でございます。」

 

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さてこの報告書を読んだ安藤領事、「なんやねん、これ、胡散臭いな。まるで三文小説やんか。はぁ?中国の村に着いたら虐待されて、逃げてきて、香港で中国人に助けられて、もう一晩泊まらしてくれも言われへん?何言うとんねん」と少しも信じていません。

 

 

これは悪質やなぁと考えつつも、その日に上海太古洋行船がちょうど出航するので、領事館は加藤金次郎に10銀元(円?)を貸した上、更に2銀元と服をあげました。領事館は「この船は上海に行くから、上海着いたら、横浜行きの船に乗り換えるんやで」と言い、「それからな、貸した10銀元は日本に戻ったら20日以内に大蔵省に返してや」とも付け足しました。

 

この金次郎、結局30日の船には間に合わず、翌31日の船に乗って帰って行きました。安藤領事は上海の品川総領事にこの事を手紙で伝え、金次郎が着いたら面倒を見るようにお願いしました。

 

さて奇妙な事が起こりました。

上海の品川総領事は、船が着いたら2、3日内に領事館に来るだろうと思って待っていたのですが、金次郎は現れません。品川総領事は「これはおかしいぞ?」と思い、金次郎が乗ってきたはずの船の船長に聞くと「乗ってまへんで」と答えるではありませんか!

 

香港で乗船したはずの人物が、上海に着いていない。いや、船長は乗っていないと言っている。。。。不安を感じた品川総領事は、外務省に加藤金次郎という人物について実在する人物かどうか問い合わせます。この知らせを聞いた安藤領事は「ほら、みぃや。やっぱり怪しいねん」と益々、疑念を強めていきました。

そしてまた事件(?)が発生します。(続く)

 

※1:アメリカ汽船の元の名前は「UNCLE SAM」。ニューヨークで竣工した木造船で、明治3年(1870年)に日本が購入し「東京丸」となった。

 

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軍艦「清輝丸」の料理人が失踪!井上良馨、落ち込む。

日本の軍艦「清輝丸」がヨーロッパへ行く途中の明治11年(1878年)2月3日と、日本への帰路の途中だった明治12年(1879年)3月10日、香港に立ち寄っています。

 

明治12年2月2日、「清輝丸」が彼南港(ペナン港)へ停泊した際に料理人の吉崎万吉が突然失踪したそうです。軍艦内はもとより、陸地やありとあらゆる手段を使って探したらしいのですが、全く行方がわかりません。最終的にはおそらく海に落ちてしまったのだろうと、海底調査も数回、行われましたが結局何もわかりませんでした。

 

一人の部下を失ったことに井上良馨は責任を感じ、その後も何度も調査を行ったとあります。その5日後の2月7日に井上良馨は、仲が良かった安藤領事に苦しい気持ちを吐露するような手紙を送っています。

 

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井上良馨(wikiより)

「出発してから距離はますます遠くなったけど、僕は君の仕事と安全をめっちゃ気にかけてるよ。僕らの船は、去年(明治11年)のヨーロッパ視察も無事に終わって、6日の午後に無事にシンガポール着いたで。軍艦設備のメンテナンスとかで3週間くらい停泊して、それからマニラに行く予定や。

 

ところで、この数日前にな、うちの軍艦が彼南(ペナン)港に停泊してた時にな、吉崎万吉っていう料理人がおらんくなってん。彼の貴重品とか衣服とか全部船内に残っててな、帽子と靴が船首に落ちててん。調べたけど事件性はないみたいやし、吉崎と同室のやつにな『前日とかどんな感じやった?』って聞いたら、『何かお母さん亡くならはったみたいで、よぉ泣いてましたし、仕事も上の空でしたわ』て言うやん?服とか貴重品残ってるし、陸へ逃げたとも考えにくいし、やっぱり母親の死がショックで突発的に深夜の海に飛び込んだんやと思てる。

 

(2月)2日と3日の両日、地元警察にもお願いして、あと自分とこの船員も総出で、陸と海底の調査したんや。なーんも見つからへんかった。特にこの港は水流が激しいから、捜索も難しかってん。それでな、うちの船の出発も2日間遅れてん。」

 

井上良馨は、彼南(ペナン)港のトップに「もし遺体が見つかったら、土葬して墓石を立ててあげてもらえませんか。費用は香港にある日本領事館に言うてもろたらいいです。うちは費用出しますんで、助けてください。」と手紙を送っています。

 

井上良馨の願いもむなしく、遺体は見つからず、香港にある日本領事館にも連絡は来なかったとのことです。

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明治11年、日本領事館の移転先

香港の日本領事館は、明治8年(1875年)2月12日からアレキサンドラ・テラス(Alexandra Terrace)3號に構えていました。毎月の家賃は95元とわかっており、一番初めの住所では120元も取られていたのでかなり安くなっていたようです。ただアレキサンドラ・テラスは商業エリアだったため、大家が家賃値上げを要求、安藤領事は交渉したようですが、大家が頑として譲らなかったため、やむなく引っ越しとなりました。

このあたりの事情、100年以上たった今でも全く同じです。香港はそもそもでそういう土地柄なんですね。切ない。。

 

さて引っ越しを決意した日本領事館ですが「いいところが見つからん!」とかなり苦戦したようです。(これも今と一緒。。涙)ようやく明治11年(1878年)10月に、ケインロード(Caine Road)7號に適した場所を見つけました。沙遜洋行(David Sasson and Sons Campany)が所有する建物で、家賃は130元。30%以上もアップやん!!だけど安藤領事はそこに決め、6ヶ月間の契約を結びます。

 

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現在のケインロード7號

 

現在もケインロード7號は存在しますが、さすがに140年も前の話ですので、今はそれらしき建物はありません。

 

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パリ万博メンバー、大工から百姓まで。香港に立ち寄る。

明治11年(1878年)5月20日~11月10日に開催されるパリ万国博覧会に参加する日本メンバーが、パリに行く途中に香港に立ち寄った記録があります。

 

明治11年2月18日に世界博事務局長の松方大蔵大臣率いるメンバーが香港に来ました。総人数は書かれていませんが、日本館の大工、瓦造り職人や百姓まで相当の人数が一度に香港へ上陸。日本領事館はホテルのアレンジに苦労したようです。

 

記録によると、一行を「法蘭西酒店(France Hotel)」へ宿泊させようとするも人数が多すぎ、「香港大酒店(Hong Kong Hotel)」「東方酒店(Oriental Hotel)」やその他のホテルへと振り分けました。

 

「香港大酒店(Hong Kong Hotel)」は現在でも香港最も歴史あるラグジュアリーホテルとして君臨するペニンシュラホテルと同じ会社の管理でした。ちなみに場所は現在のLandmark(ランドマーク)の斜め前にある「中建大廈(Central Building)」という一等地にあり、1952年に閉店しています。

 

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1900年ごろの香港大酒店(Hong Kong Hotel)

 

正式の記録ではないらしいですが、何年か経った後に実習書記官が書いたと思われる、当時の様子が書かれた文章が残っています。かいつまんでご紹介します。

 

松方大蔵大臣(以下、松方氏)が香港に来た時は、香港の総督はヘネシー氏だった。ヘネシー総督はとりわけ日本が好きだったため、松方氏の歓待は相当なものだった。松方氏が香港に到着したのは17時頃、鮫島大使と一緒にやってきた。その時、安藤領事は接待の食事中で、ちょうどスープを飲み終わったところだった。松方氏一同が到着したのを聞いて席をたった。

 

一方、松方氏らはヘネシー総督がアレンジした小舟に乗って岸に上がり、これまたヘネシー総督がアレンジした駕籠(かご)に乗り香港総督府へ向かった。

 

安藤領事は香港総督府から政府専用船乗り場へ急いだ。途中、ヨーロッパ、インド、中国の3カ国の人たちが列を作っていた。船乗り場に着くと総督の兵と音楽隊が並んでいたが、松方氏らがやってくると演奏が止まり、砲台から礼砲が鳴らされた。

 

 

パリ万博の帰りの12月7日にも香港に立ち寄っており、その際にはヘネシー総督と一緒に広東省へも行っています。中国大陸のレストランに立ち寄った際に「中国は不衛生だと思っていたけど、ここはとても衛生的で驚いた」と記録があります。140年以上経った今も変わらないですね。

 

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デモに溢れる香港ユーモア

6月16日に行われた「逃亡犯条例改正案反対」デモの参加者は、主催者発表によると200万人となり、香港人口の26%が参加した計算となりました。9日に行われた103万人をはるかに超える規模でした。ところで警察発表ははるかに少ない33.8万人。主催者発表よりはるかに少ないのはいつものことですが、街の人のあふれ方や交通規制などを見るとそれは少なすぎるなぁという感覚がありました。

 

そう思っていたら、facebookで見つけた一つの画像。警察発表の疑問を一発で吹き飛ばす、香港人らしいユーモアに溢れていました。

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6月16日のデモ人数。警察発表への疑問。

 

写真(上)年末ニューイヤー花火の観客数:35万人(警察発表)

  (下)12日のデモ参加者数:33.8万人(警察発表)

 

この画像を見た時に吹き出しました。花火の様子も知ってるけど、昨日の状況は明らかに違いました。人が多すぎて違う道にも人があふれ、デモ隊は進むこともできず、午後3時から始まったデモは夜の10時にようやく終了の様子を見せる有様。

先ほど(17日午後9時30分ごろ)、平和的デモを「暴動」と言った件で会見を開いていますが、参加者数についても突っ込み入れられてました。警察の回答は

「数字は内部の参考までです。予定ルート以外を通った人は含まれていません」

でした。それで参考になるのかな?(笑)

 

さてもう一枚、ユーモア炸裂の写真をお見せします。これはちょっとローカル色が強いものなので細かく説明します。

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法治国家とサンドウィッチ

プラカードにはこうあります。

「中国が法治(国家)だったら、太興はハム卵サンドウィッチ(腿蛋治)をあげる」

 

これはかなり強烈な皮肉なんです。

前半は全く問題ないと思います。後半の「太興はハム卵サンドウィッチ(腿蛋治)をあげる」を説明します。

まず太興には3つの意味があります。

1. 香港の有名レストラン。チャーシューが有名。ハム卵サンドウィッチもある。

2. 社会福利署のビルの名前。(太興政府合署)

3. 「社会福利界」:香港の選挙制度に業界枠があり、これもその1つです。

 社会で働く労働者のために権利の確立、環境の整備などを目指す業界のようです。

 

さて、3の社会福利界は昨日のデモに呼応し、今朝300人ほどが集まりストライキを行っていました。

 

太興とは「デモに参加している社会福利界メンバー→社会福利署のビル名(太興)→美味しいチャーシューが(サンドウィッチも)ある太興レストラン」とつながるわけです。

 

またサンドウィッチは中国語で「三文治」と書きます。法治と三文治(サンドウィッチ)で「治」となって韻を踏んでいるんですかね。

 

「中国が法治国家なら、太興(私たち)がサンドウィッチをあげるよ!」と素敵なメッセージを発信しているのです。

※ もし勘違いしているようでしたら、ご指摘ください!

 

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デモのスローガン「反送中」ってなぁに?

昨日(9日)は103万人もの人が「逃犯条例の改正案反対」デモに参加しました。世界中で報道されたので知っている人が多いかと思います。ちなみに警察発表は24万人でしたが、いつも主催者と警察の発表は大きな差がありますので「香港あるある」です。

 

さて話を戻しまして「逃犯条例の改正案反対」について軽くご説明いたします。現在の条例では、中国や台湾で犯罪を犯した人が香港に来た場合、犯人を相手側に引き渡すことができません。

 

そこで政府は条例を改正して、引き渡せるようにしようとしています。

きっかけは2018年に台湾で起きた事件でした。若い香港人カップルが台湾旅行にき、男が女性を殺害。男はそのまま香港に帰ってきました。台湾に引き渡す条例がないため、殺人の罪では裁かれていません。現在、男は香港で「他の罪(マネーロンダリング)」で刑務所に入っています。でも現状では本来の殺人では罪が裁かれないため、女性のご家族はさぞかし辛いことだろうと思います。

 

突然ですが、不思議に感じませんか?

台湾に引き渡すために、なぜ「中国本土」が絡んでくるのでしょうか。違う国でしょ?と思うのですが、悲しいかな、今の香港は「中国の一部」だからです。香港人は誰も「台湾が中国だ」なんて考えていません。でも法律上は「一つの国」なんです。

 

そこで台湾へ引き渡すよう、条例を変えるのになぜか「中国本土」がもれなくくっついてきました。私はこの時点でものすごい衝撃を受けたのですが。

 

そして、政治犯は対象ではないと言う政府ですが、今までいろんなことがあった香港人はそんな事信じません。「真の普通選挙」だって完全棚上げ、行われそうな気配は全くありません。以前、外国人記者クラブにて香港独立を謳う香港民族党の演説の場を設けられたのですが、その後、外国人記者クラブの副主席のビザが延長できない事件もありました。

 

こんな状況で「言論の自由はあるわよ。政治犯は大丈夫❤️」って言われても信じられるかーい!

 

香港人の間で「逃犯条例」を「送中(中国へ送る)条例」と言い換えられ、市民からは激しい反対を受けています。

 

突然スローガンの話に戻りますが、皆さん、もうおわかりですね!(え?すでに知ってた?)

 

「反送中」は「送中(中国へ送る)条例」反対!の略なんです。

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2019年6月9日 デモの様子

 

現在、香港政府は12日(水)に改正案を次の審査段階へ持ち込むと発表しています。それに抗議し、12日は一部の小売りやレストラン店舗が店を閉めると言っています。

 

ちなみに「犯罪者を野放しにできる状態にある香港は良くない!」と言って、この改正案に賛成する人がいることもまた事実です。

 

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